U 聖堂や建物の造り自体は重厚で、豪奢な印象のある修道院。 しかし、修道士が住まう部分は非常に質素で、冬場になると、暖を取ることすら難しかった。 暖炉のある部屋は、院長室と食堂、孤児院の大部屋のみ。 修道士たちはそれぞれ、あてがわれた部屋に火鉢などを持ち込むことが出来たが、子供だけの 場合、そうはいかない。 子供達は冬だけ、寝る場所を暖まった大部屋に移し、凍えないように体を寄せ合って眠る。 修道院の苦肉の策である。 丈夫な子はそれでいいのだが、風邪がまん延するのも時間の問題という、その環境の中、 具合が悪い子供をその中に置いておくことは、好んで仕事を増やすのと同じ。 身長はようやく、カイエの腰の位置辺りまで伸びたが。 多少成長したところで、筋金入りの虚弱体質がそう簡単に良くなるわけがなく、クラウドは 相変わらず、体調を崩してはカイエの部屋と孤児院を行ったり来たりしていた。 「───ウド、クラウド。起きろ」 やはり暖を取るため、カイエのベッドで一緒に寝ていたクラウドは、夜中、カイエに起こされた。 ベッドに上体を起こし、クラウドの顔を覗きこんでいる。 熱の下がらないクラウドは、ボンヤリとカイエを見上げる。息はまだ少し荒い。 額に載せていた手拭いが、頭の横にずり落ちていた。 「…随分うなされていた。夢でも見たか?」 カイエは、蝋燭に手をかざした。小さな火がポウと燈る。 限りなく闇に近い、常軌を逸する魔法の力。 本来、魔力は攻撃性の強い力で、日常の些細な事柄に使えるほど、扱いやすい代物では ない。それを容易く使いこなすカイエは、非常に優れた魔道士であった。 とりわけ火との相性がよく、当たり前のように炎を操って見せた。 カイエは、小さく上下するクラウドの胸に掌を当てた。 心音にさしたる乱れはない。どうやら怖い夢ではないらしい。 手拭いを拾って、ベッド脇に置いていた水桶で濡らすと、再びクラウドの額にのせる。 焦点の合わないクラウドの目が、空を彷徨う。 「…犬…みたいな…歯の男の人…が」 「犬みたいな歯?」 「…会ったことは誰……にも言うなって…」 クラウドは、それだけ言うと、再びすうっと寝入ってしまった。 クラウドが頻繁に夢にうなされているのは、以前から知っていたが、カイエがその場に 居合わせることなど滅多になかった。 犬みたいな歯。 ───おそらく、牙のことだ。 たかが夢なのだが。 カイエは少なからず衝撃を受けていた。 …マサカ、覚エテイタトハ。 クラウドをこの修道院に連れて来た、あの男のことを。 カイエは蝋燭を消し、クラウドにブランケットを掛け直しながら、肘をついて横になった。 クラウドなりに、邪魔にならないようにと思ったのだろう。 自分から離れて、冷たい壁際にくっついて眠る小さな体を引き寄せてやると、"お前の方が 苦しかろう"というくらい肩口あたりに、手拭いごと顔をうずめてくる。 4年前、突然降ってわいた、ただの面倒事でしかなかったクラウド。 凍死しかけていた彼を、自分の身体で温めてやったことに端を発し、やれ風邪だ何だと 随分と手を煩わせられたものだ。 …いつごろから、自分は、服の裾を引っ張って、澄んだ目で見上げてくるこの子を、愛おしいと 思うようになったのだろう。 人嫌いな自分が、やり過ぎだと自分でも驚くくらい構い倒していると思う。 それでも、クラウドの中の、あの男の記憶は消せなかった。 消せないどころか、まるで、心に刻みつけるように、何度も夢に見ているとは──。 「少々妬けるが──これも、あの男の計算なのだろうな…」 カイエは、クラウドの額と自分の肩の間に挟まっている濡れた手拭いを取ると、起こさない ようにそっと抱き込んだ。 こうしていればそのうち、汗が出て熱も下がるだろう、着替えをさせなければ、などと 考えている自分に苦笑しながら。…ただ。 この夢のことは、他の者に知られない方がいい。 知られて、ただで済むことはあり得ない。 クラウドが夢に見る男は───このウートガルドの秘密そのものなのだから。 クラウドは知らない。 修道院やこの国が、必死に隠し続けているものの存在を。 国の安寧のため、と肩入れされている『人間に属さない者たち』がいることを。 まだ早い。まだ知る必要はない。 もっと大きくなって、色んな事を学び、自分の頭で物事を吟味出来るようになる頃には 嫌でも思い知ることになるだろう。 修道院にいる以上、知ることは逃れられない義務。 だから、それまでは─── 「…せめて、それまでは…何とか持ち堪えたいのだがな」 カイエは、覚えずに眠るクラウドの頭をそっと撫でながら呟いた。 しかし、その「秘密」は、あちらこちらから綻び始めていた。 ──すでに、カイエの力では、どうしようもないほどに。 翌朝。 「熱は下がったな」 ベッドから起き上がったクラウドの額に手を触れる。 「うん、もう頭振っても痛くないよ」 クラウドは、ほら、と軽く頭を振って見せた。 「…なら、そこに座って朝飯を食べろ」 カイエが指差す小さなテーブルには、一人分の朝食が載せられていた。 朝の礼拝を済ませたカイエが、食堂から持って来てくれたのだ。 クラウドは大きな靴を引き摺りながら歩き、椅子に座るとカイエをジッと見る。 「…なんだ?」 「カイエは食べたの?」 「ああ。…だから、お前も早く食べて、自分のところに戻れ」 クラウドは、うんと頷き、いただきますと行儀よく朝食を食べ始めた。 「…犬みたいな歯の男の夢は、良く見るのか?」 他に聞かれる訳にはいかない。部屋の外に、人の気配がないことを十分に察した後。 カイエは頃合いを見計らって、クラウドに問い掛けた。 ベッドの端に浅く腰掛けて、クラウドの反応を見る。 クラウドの食事の手が止まった。 「何で…知ってるの?」 ひたと、カイエを見るクラウドの声は、心なしか暗い。 「昨夜、お前のうわ言を聞いた。怖い夢ではなさそうだが」 手から離れたスプーンが、カチャリと軽い音を立てて、スープ皿の縁に引っ掛かる。 カイエの問いに、クラウドはポツリ、ポツリと話し出した。 「……うん。怖くないけど…時々見る。影みたいに黒くて大きくて、顔は見えないけど、 歯が見えて…。その男の人が、ぼくに言うんだ。『会ったことは誰にもしゃべるな。もし、 しゃべったら…』」 クラウドは、そこまで言うと、思い出したように手で口を押さえた。 「しゃべったら?」 カイエの声に、クラウドの体がビクリと震えた。 続きを促すカイエを見つめるつぶらな目から、ポロポロと涙が零れ始めた。 「…その後は分かんない。でも…っ、どうしよう、言っちゃいけなかった気がする…」 カイエは、俯いて泣き出したクラウドの傍らに立つと、その小さな顎をそっと掬い上げ、 視線を合わせた。 「なぜ泣く?」 クラウドの手が、カイエの服をきゅっと掴む。 「大丈夫だよね?ぼくがしゃべったのをカイエが聞いて、カイエがひどい目に合ったりしない よね?」 微笑まずにいられない、優しい気遣い。 自分を慈しんでくれる筈の親には恵まれなかったというのに、自分よりも、人のことを先に 心配する子供なのだ。 強い子だと、カイエは思う。 「大丈夫だ。心配するな」 椅子に腰掛けているため、いつもより高い位置の、腹のあたりにしがみついて泣く クラウドの肩をあやすように撫でた。 「──クラウド、ひとつ約束しろ」 嗚咽に喉を引き攣らせながら、クラウドはようやく顔を上げた。 カイエは、そのクラウドの頭を支えるように、後頭部に手を差し入れる。 クラウドを見下ろすカイエの双眸は、いつもと変わらず碧く冷徹で。…だけど。 「夢の話は、俺以外に絶対話すな。…約束出来るな?」 その目に燈る、澱みのないはずの強い光は、翳る月のようにぼやけていた。 しゃくり上げて頷くことしかできないクラウドに向けられた、カイエの笑みは───ひどく儚くて、 もの悲しい──初めて見る微笑であった。 クラウドはそれ以上、カイエを見続けることができなかった。 優しい大きな手が、自分の背中をしっかり支えてくれているというのに、後から後から溢れてくる 涙で霞んでしまって。 静かに泣く彼の目元を拭うように触れるカイエの唇も、涙を止めることはできなかった。 この人が話すなというなら、絶対に話すまい。忘れろというなら忘れよう。 だから、そんな顔しないでと。 あの時、泣き叫んで縋ることができていたら、何かを変えられたのだろうか。 今夜はきっと冷えるぞと、修道士たちが、久しぶりによく晴れた高い青空を仰ぎ見ていた、 小春日和のことだった。