V








            薄明かりとはいえ、カンテラに慣れた目に、月明かりが期待できない暗闇は不利だ。
            おまけに、相手の放った雷撃の閃光によって、一瞬見えた周囲の景色が、残像のように目に焼き付き、
            クラウドの視界を遮る。

            クラウドは何度かしばたたいた。
            当然、夜行性の相手には、見破られているだろう。





            「閃光でしばらく目が利かねぇんだろ。 不便だなぁ、人間ってのは」

            男の、同情めいた台詞に、嘲笑が混じっている。
            



            「…獣の位置は、光る目で十分だ」

            光って見える金色の目を見据えて、クラウドは静かに答えた。
            実際、強がりでも何でもなく、相手の立ち位置を知るには十分な情報である。
            クラウドは外套を脱ぎ捨てた。



            男は不満そうに鼻を鳴らしたが、気配から嘲りが消えることはなかった。

            「華奢な嬢ちゃんだが、ちったあ楽しませてくれるんだろ───なぁ!? 」

            男がクラウドに向かって大きく踏み込む。





            男が間合いに入った瞬間、クラウドは、低い体勢からソードを斜め上に振り上げた。
            大柄な体に似合わず、男は身軽に飛んでソードを避け、クラウドの左後方に着地した。
            右利きであるクラウドの死角。
            しかし、クラウドはそれを見越したかのように、着地と同時に男に斬りかかる。
            細い体に似合わぬデカブツが、驚く速さで空を舞う。
            再び後ろに飛び退いた男の頬を、ソードの切先が掠めた。


            なかなか間合いに踏み込めない男は、舌打ちをしながら頬に滲んだ血を指で拭うと、それをぺろりと
            舐める。

            「活きがいいのは面白いね。ガキ喰ったって『美味い』で終わりだし」

            ようやく男から、嘲笑の気配が消えた。




            クラウドはソードを握り直した。

            「連れは貴様だったのか」



            「まーな。」

            男は事もなげに言う。




            「…ひとつ聞く。何故協定を破る?」

            怒気を含んだクラウドの声が低くなる。



            「協定って、お前らの言う『罪人の血を吸え』ってあれか」

            男はうんざりしたように言葉を継いだ。



            「あんたらの存在は秘匿された上で、罪人の生死も問わない──条件は悪くないはずだ」







            人間VS吸血鬼。
            かつてこの地で、幾度となく繰り返されてきた抗争は、無駄にお互いの数を減らし続けた。

            協定の締結は、実は吸血鬼側の提案であった。
            勝ち目こそ吸血鬼側にあるものの、人間と比較して生殖能力の低い吸血鬼は、種族存亡の危機に
            陥ったのだ。

            海に面した土地柄、海賊などの襲撃も多かったこの地の人々もまた、争いに次ぐ争いに疲弊しきっていて、
            提案はまさに渡りに船であった。
            そして、人間側主導にすることを条件に、協定を締結。
            同時に、協定の番人として魔道士が置かれ、現在に至っている。


            「吸血鬼の存在は、領主及び修道院の管轄のもとに秘匿扱いとし、存在の主張や誇示を禁止とする」

            「人間側の提示する犯罪者のみを吸血行為の対象とし、その生死も不問とする」

            
            この協定は、人間側にとって、治安維持や罪人管理の助けとなり、吸血鬼側にとっても、かなりの数の
            吸血対象を確保できる、いわゆる、持ちつ持たれつのものであった。

            しかし、協定は歳月を経るにつれて、吸血鬼側に軽んじられるようになった。
            締結後に生まれた世代にその傾向が強く、指導する側にある旧世代の数が少なくなったのも理由の一つ
            だろう。

            要は、統制力不足で暴走を始めたわけである。








            男が小さく嗤う。

            「じゃあ、俺も質問。なんで、俺らが人間の言うこと聞かなきゃなんねーの?」




            クラウドは心の中で、盛大に溜息を付いた。
            予想はしていたが、話が全くかみ合わない相手だ。

            「…話にならない」


            クラウドの呟きに、男は声を上げて笑った。
            「"弱肉強食"って知ってるよな?自然の摂理だ。犬でも分かる。──弱い人間の言い分を、
            俺達が聞く謂れはねぇ」


            「そうだな…俺が間違ってた。吸血鬼は所詮ケダモノ。これ以上の会話は無意味だ」
            再び、クラウドはソードを構えた。
            どうして、こんな奴らと平和的な協定を結べると思ったのだろう。
            聞く耳など、初めから持っているはずがないというのに。



            「あの赤毛の魔道士も、結局殺されたんだろ? 俺らより強いって、お高く止まってた
            カンチガイ野郎。いい気味だな」

            男の目が厭らしく光る。
            明らかに、嘲笑まじりの挑発である。



            やはり、カイエの死は知れ渡っていた。
            クラウドの頭に、俄かに血が上る。赤毛の魔道士とは、間違いなくカイエのことだ。

            挑発されてるのは分かった。
            しかし、カイエに対する罵りを聞いてやり過ごせるほど、クラウドはまだ大人ではない。
            「カイエを侮辱するな!」


            クラウドは怒りにまかせて、男に斬りかかった。

            

            「あ〜らら、隙だらけ♪」
            男の呆れたような口調が、クラウドをさらに煽る。


            それは、クラウドの殺気だけが空回りする、ただの剣舞であった。



            男の思うつぼである。

            「可〜愛い〜」

            男はゲラゲラ笑いながら、クラウドの眼前に手を翳す。


            再び繰り出された閃光。


            「 !! 」
            寸でのところで、避けた雷撃が地面を焼く。

            しかし、閃光をまともに見たクラウドは、残像に目が眩む。




            「勝負あったな」

            男が耳元で囁いた。
            逃げる間もなく、掴まれた手首から、一気に体を駆け巡る電流。


            「ぐ…っ!」

            クラウドの口から呻き声が漏れ、手からソードが落ちた。
            失神の一歩手前まで加減された電流が、全身を痺れさせ、クラウドの抵抗を封じる。

            「雷撃ってな、こういう使い方もあるんだぜー」



            クラウドは、そのまま地面に押し倒された。

            こうなってしまうと、力の差は歴然である。
            大柄な男の下にあっては、クラウドでは勝ち目はない。
            魔術を使おうにも、こんな状態では集中して呪文を唱えられないし、今、この場で、どの術を使えば
            効果があるのか、全く見当がつかなかった。

            魔術とは、応用の連続である。





            男は、クラウドに圧し掛かりながら、エンジ色のハイネックの襟元に手を掛け、力任せに左右に引っ張った。
            ボタンがはじけ飛び、あっさりと上衣が引き裂かれる。

            「その辺の女なんか、目じゃねーじゃん。美味そ〜」

            肌理のつんだ白い肌に薄く色づく突起が、夜目の利く男の前に晒された。
            男は躊躇いなく、それを舌でねぶる。

            「やめろ…っ!」
            胸元で光る男の目。肌を這う息遣いと生温かい滑り。
            鳥肌が立った。
            クラウドは何とか抜け出そうと、必死に身を捩って抵抗したが、何の意味も為さなかった。
            男に掴まれた手首が、ジンジンと痛んだ。きっと火傷になっているだろう。


            「こんな美人をヤりながら、喰えるなんて思わなかったな」

            男は、クラウドの金色の髪を掴むと、喉元をせり出すように、後ろに引っ張った。






            不甲斐なさに、涙が出る。
            クラウドは抵抗を止めた。どうしようもなかった。


            (ここで死んだら──カイエと一緒に眠れる…かな)



            小さかった自分を、守るように抱いて添い寝してくれた、在りし日のカイエに思いを馳せながら、
            クラウドは、首筋に押し当てられる牙に、ビクリと身を強張らせた。











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